「線は、僕を描く」感想

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Story

 水墨画との出会いで、生きる力を取り戻してゆく青年の成長譚。

 両親の死をきっかけに引きこもっていた青山霜介は、大学進学をきっかけに少し世間と関わり始め、やがて水墨画の大家・篠田湖山と人生を決定づける出会いをする。

感想

 え、水墨画って一発描きなんだ!? ほんの15分で1作品!? 少しの筆の溜めで、艶や、光や、霞を描き出すってナニソレ。描く姿は、全身を使ってアスリートの瞬発力って、どんな!?見てみたい!


 楽しむことさえ難しい、垣根の高いワビサビ文化という認識が、私の中で「素敵なもの」へと大きく変わった一冊だった。
 巻末までに水墨画の入門書くらいの知識は詰まっているのではないかな。
 知らないを知るのは楽しい。まして、こんなみずみずしい青春小説で知ることができるのは、僥倖というほかない。

ここから、少しネタバレあり。 

 
未知の世界「水墨画」。おそらく私と同程度の知識しかない主人公・霜介が、基礎から学んでいく過程はそのまま私の疑似体験となった。
 例えば霜介が初めて湖山先生から受けるレッスンは「墨で楽しむ」。好きなだけ汚していい。どんなに失敗してもいい。紙をとりかえれば、失敗はなかったことになり、また新しい世界だ。そんな湖山先生の言葉で「水墨画」との垣根は低くなり、続く2回目の「墨をする」レッスンでは、そういえばはるか昔、小学校の習字で墨をとばして新しいワンピースを汚したことや、墨の香りで心を落ち着けたことなど、自身にもかかわりのある体験があったことに気づく、といった具合。80ページくらい読んだころには、水墨画とは「小難しい芸術」→「なんか素敵なもの」に、認識が変化する。

 もちろん霜介はそのあと、より高度な技術を磨き「自然に心を重ねて描く」境地への模索を始め、ドラマはコンクールへの勝負へとドラマチックに展開してゆくのだが、そのあたりにはもう、読者は「大家に見いだされる絵師」として主人公に自分を投影してしまえている。そこがこの小説の醍醐味のひとつ。温かな湖山先生の言葉に包まれながら、深淵なる墨絵の世界と向き合う霜介の時間は、読んでいて静謐な幸せをくれる。

 水墨画と相対する描写を「静」とするなら、「動」を与えてくれるのが、霜介の先輩・古前くんだ。あたりまえに俗っぽさのある大学生らしい行動力と、彼のガチャガチャした恋模様によって、合間合間に霜介は振り回され、若者らしく関わってゆく。ここらの描写がまた楽しい。

 この小説では若い世代がそれぞれの距離感で水墨画に出会う。千瑛(ちあき)や西濵さんなど、人生をかけて挑む者もいれば、学園祭の展示用に、イカやタコなどをふざけた筆致で描いた古前くんの作品が、思わぬ人気を博したりもする。そんなふうに、日常に交わる芸術であると思わせるところも素敵だ。
 

作者の、水墨画への敬愛が作品全体から伝わってくる。そこに関わる人たちもすべて、愛をもって描かれる。
湖山先生のセリフがまた滋味あふれる。いくつか抜粋。

「まじめというのはね、悪くないけれど、少なくとも自然じゃない」

「心はまず指先に表れるんだよ」

「できることが目的じゃないよ。やってみることが目的なんだ」

ここからは、少し辛口に疑問点。

 水墨画に関わる人って、みんながみんなこんな謙虚で自分にキビシイ人格者なわけなくない? 大学生にもトラブルメーカーが登場しない。悪意ある人が一切登場しないのは、世界感を安易におきれいにまとめている気がする。
 次に千瑛。つややかな黒髪の、他人を寄せ付けぬ美人として描かれる。おまけに頭もいいらしい。美人が描く牡丹や薔薇、そりゃ素敵でしょうよ。シチュエーションだけで萌えだよね。エンタメ要素としては正解とは思うが、少しうすっぺらく感じた。ひがんでいるのだろうか、私。
 湖山先生が霜介を見出す過程。心の傷を見抜き、生きる力を取り戻してほしいと水墨画の世界へ導いたわけだが、霜介がとんでもなく不器用で絵に向いていない可能性もあったわけで、そこのあたり、どうやって才をみぬいたのだろう。

等々、流されず考えてみれば、疑問点はあるものの、もしかして以上の部分を改めるとそれらが雑音化したかもしれぬ。孤独こそが強みになる世界に、彼が出会ってしまったらHe can’t stopなのは必定。そんな説得力も感じる小説だった。

 さて。こちらの小説は映像化もしているようだが未鑑賞。蘭や菊の水墨画は、ネットで画像検索してみたが、カルチャー教室のお手本みたいなのが多くヒットし、的を得ない。やはり、美術館などで実物にゆっくり浸ってみたいな。伊藤若冲の美術展は何度か見たことがあるけど、あれらが水墨画だという観点がそもそもなかった。新たな観点で鑑賞しなおしたいな。

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